江戸時代に定着した五節句のひとつが「上巳(じょうし)の節句」。「ひなまつり」である。女の子のお節句とされているが、水辺で穢(けが)れを払うとか、水神を祭る行事が起源とも言われている。
近年まで工事現場や一部の海や山、土俵などは女人禁制とされ、女性は不浄の存在として扱われてきた。春の農作業を前に女性たちは身体を浄めることが求められたようだ。紙や草で作った形代(かたしろ)と呼ばれる人形で身体を浄め、身代わりとして川に流す行事が今も各地に残っている。その形代と貴族のお姫様たちの人形遊びが重なり、上巳の節句には人形を飾り、女児の節句として祝われるようになったのだろう。
したがって、今のような豪華な段飾りは近年のものである。初節句に女親の実家が買うものだと言うのは人形屋さんからの提案だろう。婚約指輪は給料の3カ月分で買うのだと背中を押されるのと同じである。
さて、私の雛人形はといえば、お内裏様は初節句に両親のお仲人さんから頂き、三人官女は翌年伯母から、五人囃子はまた別のどなたかからと、毎年増えていった。ほぼ全員がそろったころ、大工の棟梁だった親せきが組み立て式の段を作ってくれるまで、毎年両親が大騒ぎで文学全集や百科事典を重ねて赤い布をかけてくれていた。
御所人形の隣にはぬいぐるみもミルク飲み人形も並んだ。昭和30年代のひなまつりの光景は平和だった。良い時代だった。(生活デザイナー)