【北斗】青函連絡船洞爺丸など5隻が遭難し、多くの犠牲者を出した洞爺丸台風から70年となった26日、市七重浜7の「颱風(たいふう)海難者慰霊碑」前や七重浜共同墓地で、犠牲者を追悼する慰霊法要が執り行われた。遺族や一般参列者らが手を合わせ、70年の節目に大惨事の教訓を後世に残し伝えることの大切さを、改めて胸に刻んだ。
1954(昭和29)年9月26日に発生した洞爺丸台風(台風15号)により、青函連絡船洞爺丸、第11青函丸、日高丸、十勝丸、北見丸の5隻が函館港外で遭難。函館市史によると、乗員乗客合わせて1430人が犠牲になった。未曽有の災害を受け翌年、多くの犠牲者が流れ着いた七重浜に慰霊碑が建立された。
法要は函館市仏教会(田村紀晃会長)のもと執り行われ、遺族や一般参列者のほか、北斗市や函館市、JR北海道の職員など約80人が参列。僧侶20人が読経し、参列者が慰霊碑前で手を合わせた。
北見丸で事務長を務めていた父親の魁(いさお)さん(当時53歳)を亡くした、函館市時任町の大原愼子さん(75)は「多くの人にとって9月26日は日常であっても、私にとっては特別な日。これからも体がもつ限り参列を続けたい」と話す。観光旅行で洞爺丸に乗船した父の佐藤徳松さん(同44歳)と母の花子さん(同37歳)を亡くした、栃木県那須塩原市の時庭明美さん(77)は、「孫やひ孫を連れ参列した。慰霊碑の前で私は幸せに暮らしていますと両親に報告した」と話していた。
七重浜共同墓地の寂光塔前でも、洞爺丸台風の犠牲者に向け、七宝寺(油井祥隆住職)による供養法要が執り行われた。犠牲者1430人のうち128人が同墓地で火葬されており、地域住民や参列者が手を合わせて犠牲者をしのんだ。
法要後、油井住職は「年数がたつにつれ出来事が風化していくことは避けられないが、皆さんで手を携えて洞爺丸台風の供養法要を守り、続けていきたい」と話していた。(野口賢清)