1945(昭和20)年7月14、15日の函館空襲の犠牲者を追悼する慰霊法要が14日、函館市船見町の称名寺(河本悠大住職)で開かれた。函館空襲を記録する会の浅利政俊代表(90)や遺族の3人が参列し、手を合わせた。
同会が89年に慰霊碑を境内に建立して以来、毎年慰霊祭を続け、今回が33回目。今年は新型コロナウイルス感染拡大防止のため市民参加の呼び掛けをやめ、同寺院による慰霊法要の形とした。
米空母艦載機を中心とした45年7月の北海道空襲は釧路や室蘭など全道各地に大きな被害をもたらした。函館では、本州との物流の大動脈であった青函連絡船12隻が壊滅的被害を受け、函館湾では応戦した駆逐艦「橘」が撃沈。このほかにも多数の船舶が狙われ、陸上部では機銃掃射などによって市民が多数命を落とし、多くの住居が焼けた。
同会が故須藤隆仙前住職の理解を得て建立した同寺院の慰霊碑は、犠牲になった市民らだけではなく、攻撃側の米兵も合わせて追悼している。河本住職ら僧侶3人による読経の後、浅利さんが碑文を朗読し、「今後も一致協力し、慰霊行事を続ける」と誓った。(今井正一)