函館啄木会代表理事で市立函館図書館の元館長、岡田弘子(おかだ・ひろこ)さんが5月28日、敗血症性ショックのため、死去した。95歳だった。葬儀は近親者で済ませた。後日、お別れの会を開く。岡田さんは亡くなる直前まで元気な様子だったといい、関係者は突然の別れを惜しんだ。(今井正一)
岡田さんは1925(大正14)年、函館に図書館を開いた健蔵氏(1883~1944年)の長女として生まれた。当時の遺愛女学校から文部省図書館講習所に進み、43年から市立函館図書館に奉職。76年から82年まで館長を務めた。
石川啄木の一周忌に函館啄木会が発足し、貴重な直筆資料が「啄木文庫」として健蔵氏に託された。56年に宮崎郁雨らが同会を再スタートした時に岡田さんは理事として関わり、資料の管理、保存を続けるため退職後も図書館に通い、2005年に代表理事に就いた。
啄木関連の活動が評価され、16年に市文化賞を受賞した際の取材に岡田さんは「図書館職員として当然の仕事をしてきただけ」と謙虚に答え、親しい関係者が集まった祝賀会では「100歳まで図書館に通って仕事をしたい」と話していた。岡田さんのおいの一彦さん(80)は「図書館人として信念を持って生きた人だった」と悼んだ。
同会は市中央図書館で毎週木曜日に資料整理活動を続け、図書館職員としても一緒に働いたことがある同会の大島吉憲さん(73)と渡辺美樹子さん(70)が作業を担う。新型コロナウイルスの影響で断続的に休館が続いたが、岡田さんも3月26日まで参加し「活動を見守ってくれていた」(渡辺さん)という。4月13日には今年も啄木忌法要に参列した。
入所先の施設で変わらず過ごしていた。5月28日の朝食後に倒れ、同日夕方に搬送先の病院で亡くなった。一彦さんの子の東彦さん(45)は「お花見が好きで今年も松前などに車で連れて行ったり、当日も恵山に行く予定でした。元気だったのであまりにも急なことでした」と話す。
出棺後、岡田さんを乗せた車は許可を得て、函館公園内の旧図書館前に立ち寄った。一彦さんは「市民がつくった函館公園とその中にある図書館は函館の気風であると叔母もよく話していた。最後に図書館に連れて行くことができて、喜んでいたと思う」と話した。
◇
岡田さんは、函館日仏協会が発行した2冊の函館日仏交流史資料集の編集を担うなど、地域の歴史を掘り起こす作業にも注力した。
「蝦夷に咲いた百合」(93年)は正式な外交関係がなかった幕末に仏艦の傷病兵を箱館で収容した史実に関わり、日本側の文献とフィリップ・グロード神父(故人)が集めた仏側の資料をまとめ、「ロザリオと鍬とペンと」(03年)にはカトリック修道会や函館白百合学園、函館ラ・サール学園に関わる歴史を記した。00年3月には、同国の芸術文化勲章シュバリエを受章した。
ドイツ関連では函館公園内に碑があるハーバー領事殺害事件の研究なども進めていたという。同協会の若山直会長(74)=五島軒社長、函館日独協会事務局長=は「岡田さんは現実にあったことの資料をきちんとした形で残す作業をされた。そのことを調べる人が出てきて初めて脚光を浴びる仕事で、文化を残す人だった」としのんだ。