13日、北海道と本州を結ぶ青函トンネルが開業して30年を迎える。先進導坑工事に携わった菊地謹一さん(80)=福島町在住=は、1964年から83年まで19年間工事に従事し「暗く暑いトンネルの中で1日12時間も奮闘する毎日。作業坑の大出水事故(76年5月)をはじめ日々がドラマの連続だったが、何といっても一番思い出深いのは先進導坑貫通の日(83年1月27日)。歴史の一ページを書き換えたという実感で、感無量だった」と振り返る。
工事に関わるきっかけは、20歳のころ乗っていた漁船が、トンネル建設のための調査船の一隻になったことだった。「トンネルにはあなたのような若い人の力が必要だ」と技師の一人に語り掛けられて数年がたった64年9月、役場を通して船に連絡が入り、日本鉄道建設公団の臨時職員としてトンネル建設に身を投じることになる。
もともと土木は全くの門外漢。それでも「市振トンネル(北陸本線)などの工事で活躍した先輩方に目をかけられ、楽しく仕事ができた」という。工事が進むにつれ、現場に加わる地元の仲間も次々と増え、その先頭になった菊地さんはますます意気盛んになった。
しかし工事が海底部分に差し掛かると、山岳トンネルでは考えられないような大量の出水に悩まされ、従来にない技術の開発が必要とされた。水平ボーリング、止水のための薬液注入、掘った岩盤を安定させるコンクリート吹付などの高度な技術が、この工事を通じ実用化され、その後の掘削技術の発展に大きく貢献することになる。
「貫通の瞬間の喜びを味わいたくて」2001年の第二東名高速道路富士川トンネルを最後に引退するまでトンネル工事に従事し続けた菊地さん。「私の人生を決めた国鉄技師の一言には感謝してもしきれない」と過去を振り返るとともに「北海道新幹線は、札幌延伸が予定通りに進めば大きな効果を生むのでは」と期待を寄せる。
菊地さんの思いを継ぐように、現在も長男の一さん(53)が道新幹線の赤井川トンネル工事に従事しており、12年後の札幌開業の時には一番列車に乗ると心に決めている。(神部 造)