家の修繕と家族の移動などで、モノを捨てられない私もついに追い込まれた。だが、これは病気ではないかと思うほどつらい。引っ越しをする友人から荷物を処分する大変さを聞いていたが、想像を超えていた。
娘たちが生まれた時から使っていたタオルはゴワゴワで、動物の模様も薄れているのに雑巾にできない。義父の書はもちろんのこと、伯母からもらったちゃんちゃんこ、亡父のコートも義母が縫った娘たちのドレスも捨てられない。
写真の食器は母のお友達から頂いた。60年ほど前海外で買ったもので私の仕事に生かしてほしいと言う。母の嫁入り道具の食器を送ってきた友人もいる。そんな食器などが山ほどある。
大昔に教育実習先の生徒からもらったネックレスは小さいので問題ないが、頂いて処分できない一番大きなモノはグランドピアノ。世界的に著名なピアニストが来日した時に練習で使いサインした逸品。20年前、絶対に処分しないで使い続けてねと、あるピアノの先生から頂戴した。どれにもエピソードがあり過ぎて、自分の思い出だけでなく、大勢の思い出も抱えた私はいま、身動きができない。
もう着ない、もう使わない、ときめかない…思い切るためのキーワードは分かっているが、できない。実につらい。どれにもエピソードがあり処分できない。32年前、長女がお腹にいた時に着ていた洋服は、素材のせいか今のほうがぴったり。だが着るかと言えば着ない。でも捨てられない。(生活デザイナー)