1973(昭和48)年度の函館西高校吹奏楽部の日誌が、卒業から44年ぶりに当時の部員の元に届けられた。同部と関わりのない福岡県の男性が長年、大切に保管していたもので、すでに60代を迎えた部員たちは「ちゃんと保管してくれていなかったら日誌と再会できなかった。本当にありがたい」と持ち主に感謝しながら、青春の思い出が詰まった一冊との“44年ぶりの再会”を手放しで喜び合った。
西高校の日誌は福岡県久留米市在住の男性(46)が保管していたもので、87(昭和62)年ごろ、千葉県の東京学館高校で吹奏楽部の部長をしていた際、部室を整理している最中に発見。学校の所在地は把握できたものの、部の関係者にはたどりつけぬまま時間だけが過ぎていった。男性は高校卒業後も幾度か引っ越しを重ねながら、大切に保管していた。
今年2月、自宅を整理中に押し入れの中から見つかり、持ち主を探すため本紙の公式ツイッターに情報を寄せた。2月28日付の本紙で報じたところ数件の情報が寄せられ、同部OBで東京学館船橋高校で教壇に立つ森山烈(いさお)さん(60)が、日誌を千葉県まで持ち込んだことが判明した。
森山さんは80~86年にこの高校に勤務。吹奏楽部の顧問ではなかったが、生徒たちと一緒に演奏しながら技術を教えていたという。東京学館高は79年開校の新興校だったため、「30人弱いた部員たちに、自分がどんな練習をしていたのか伝えるためにお借りした」(森山さん)というのがその理由。しかし、森山さんは86年春に現在の学校へ転勤し、日誌の存在は忘れられたままになっていた。
経緯が判明したことを受け、日誌は本紙を介して同校OBでつくる「つゞじが丘吹奏楽団」の小島朋之事務局長(64)の元へと届けられた。小島さんによると、西高は81~82年ごろに新校舎を建設しており「(前の校舎の)古い部室を出ていく時に日誌を見つけて私が持っていたところ、森山さんが持って行った」と明かす。
◇
12日、母校吹奏楽局の定期演奏会に合わせて森山さんをはじめとするOBたちが全国各地から集まり、小島さんが日誌を紹介。“原因”を作った森山さんも、仲間たちにはやし立てられながら「見覚えがある。戻るところに戻ってよかった」と懐かしんだ。
森山さんの1年先輩で、73年度当時の3年生たちも日誌にじっくりと見入り、インクのにじんだ文字に目を細めた。小林貢さん(61)は「一つ一つの記述が面白く、昔に帰っていくような思い」、小川洋一さん(61)は「自分たちの基になっているのが、このノートだとつくづく思う」としみじみと語った。京極信良さん(61)は「どういう経路をたどって福岡に行ったのか不思議に思っていた。日誌は俺たちが(吹奏楽を)やってきた証だね」と、満面の笑みを浮かべた。
日誌を持っていた男性は「無関係の学校の日誌をなぜ捨てずにいたのか、いろいろな思いがあって明確な答えを出すのは難しいが、ちょっとしたタイムカプセル体験をしていただけたようで、遅れてしまったのが良い結果になったと思う。無事に渡って感謝です」と話している。(千葉卓陽)