未曾有(みぞう)というのは「かつてない」ことだ。阪神・淡路大震災はまさにその未曾有だった。当時住んでいた広島から数年間、頻繁に神戸に通った私は、関西が復活するスピードの速さに訪ねるたびに驚いた。
東北を襲った地震と大津波は世界が驚愕するまぎれもない未曾有の災害だったが、こちらは5年たっても復興の歩みは遅い。そんな中、また大きな地震が九州を襲った。こうなれば「震度7」は未曾有ではない。
どこでも起こる。いつでも起こりうる。今日もテレビの情報番組でそんな話題になったが、もし次の「未曾有」に自分が遭遇したら…。さて、足の悪い高齢の親たちと大きな犬を連れて、どこにどう逃げればよいのだろうか。懐中電灯と毛布を持ち、何とか家の外に出られたら、そこでじっとしているのが精一杯だと思う。
何でも頑張ればどうにかなる、というものではない。どうにもならないことは山ほどある。思えば学生時代の試験など楽なものだった。次は頑張ろう、いつか頑張れば何とかなると根拠もなく思っていた。何かを突然失うことなど想像もしない。それを若さというのだろう。
札幌の時計台近くにあった北地蔵という喫茶店が好きだった。1970年代の後半からの長いファンだったと自負している。だが数年前から店内の何かが変わりはじめ、気がついたら閉店していた。時の流れと自然現象は止められない。今生きる自分になにができるか、考えずにはいられない。(生活デザイナー)